――― さくら さやけき ・・・ ―――










「カカシ先生、知ってた?チョコレートのトリュフって、あの世界三大珍味のトリュフからきてるんだよ」

「・・・へぇ・・・」

「この黒いコロコロした形がそっくりだから、この名前になったんだろうねー」

「・・・ほう、なるほどね・・・」

「世界中の有名なショコラティエ達もこぞって腕を揮うほどの有名なチョコレートなんだって。正に『褐色の宝石』そのものね」

「ふーん。・・・で、トリュフの名前の由来は判ったんだが、・・・サクラ、俺の家きて、何やってんの?」

「何って・・・、見ての通りバレンタイン用のチョコ作ってるのよ」

「・・・なんで、俺の家な訳?」

「だって、先生のところってキッチン広いし、大して物もないからいろいろ道具持ち込んでも平気そうだし、

 それに先生って結構手先が器用だから、いろいろ手伝ってもらえるとラッキーだなーって・・・」

「そんな、理由、で・・・・・・」

「カカシ先生、手が止まってる!っんもう、ちゃんとやってよ。終わんなくなっちゃうじゃない・・・」

「・・・・・・」







明けても暮れても任務、任務、任務。

相変わらずの任務漬けの毎日で、今日は二週間ぶりにやっとの事で勝ち取った、それはそれは大切な休暇だった。

気ままな独り身、部屋にはただ寝るためだけに帰ってきているようなもので、殺風景なほど物が少ない。

多少の埃はあるようだが、まあ、気にしなければそれまでだ。わざわざ掃除するまでもないさ。

とにかく今は眠りたい。

連日酷使しすぎた身体は、ちょっとやそっとの睡眠では到底満足できず、

日が高く昇り始めても、いつまでもだらだらとベッドの中に潜り込んだままだった。



とろとろ・・・としたこの眠りに落ちる瞬間って、最高に気持ち良いんだよな・・・。

程よく温まった布団を抱き締め、ゆらゆらと消えかかる意識を楽しみながら惰眠を貪る。

あー・・・、こんな日は一日中こうしているのが最高だよねー・・・。

スッポリと温かいねぐらに包まれて、快適な事この上ない。

ふわふわとした微睡みが、徐々に本格的な眠りにすり替わっていく。

ガラス越しの陽射しがポカポカと顔に当たって気持ち良い。

今は、ぬくぬくとベッドに潜っている事がとにかく最高の贅沢なんだ。



だが、完全に眠りの淵に落ちようとした、正にその瞬間――



ピンポーン・・・



突然鳴り響いたチャイムの音に、無残にも叩き起こされてしまった。



「・・・チッ。誰だよ、一体・・・」



任務の依頼ならチャイムは鳴らさない。どうせ、くだらないセールスかなんかの類だろう・・・。

知らんぷりして無粋な訪問者をやり過ごすつもりだったが、敵も然る者、一向にチャイムは鳴り止まなかった。



ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン・・・



「・・・あー!」



余計に鳴り響き出したチャイム。

頭から布団を被り、意地でも出てやるもんかと、腹立たしげに目を瞑った。



ピンポーン、ピンポーン、トントン・・・トントン・・・ピンポーン、トントントン・・・



「カカシ先生・・・、いないのー?」



あの声・・・。

チャイムとノックの音に半ば掻き消されていたが間違いない。

慌てて飛び起き、勢い良く玄関の扉を開いた。



ピンポ・・・

「うわぁー!」



突然開け放たれた扉に吃驚したのか、サクラが大きな口を開けたまま固まっている。

零れそうなほど見開かれた眼が、日の光を浴びてキラキラと輝いているのがひどく印象的だった。



「もう、吃驚させないでよ、カカシ先生・・・。心臓が止まるかと思っちゃったわ・・・」

「あぁ、ごめんごめん、悪かった・・・。こんな朝っぱらから何?どうかしたの?」

「朝っぱらからって・・・、もうお昼だよ」

「俺にとっては十分朝なの。・・・で、なによ。俺になんか用?」



見るとサクラは、なにやら大きな荷物を抱えている。



「うふふ・・・。ねぇ、あがってもいい?」







・・・で、現在に至る。

約束もなしに、突然台風のごとく現れたサクラは、台所に鍋やらボウルやら秤やら・・・と、

さまざまな調理道具を並べては、早速、チョコレートのトリュフなるものを作り出した訳だ。

よりにもよって、俺の家で。

鍋で蕩かされたチョコレートの甘ったるい匂いが部屋中に充満している。

寝起きで、まだ何も口にしていない空っぽの胃袋が、早くも降参しかけているのだが、

サクラはどこ吹く風とばかりに、鼻歌を歌いながらお菓子作りに熱中していた。



「カカシ先生ー!ちょっとお鍋の様子見ていてくれるー?」



有無を言わさず木べらを俺に渡すと、自分は次なる工程の準備に取り掛かっているようで。

次から次へと現れ出る見たこともないような調理器具たちを、思わず、マジックみたいだな・・・と、呆れ気味に眺めてしまった。



「次はどーすんの・・・?」

「溶けたチョコレートに熱く沸かした生クリームを混ぜ合わせるの」

「ウゲェ!」



これだけでも十分に甘いだろうに、もっと甘くするのか・・・?

拷問のような甘い香りが、俺の手元からモクモクと立ち込めてくる。

思わず息を止め、涙目になりながら、鍋からボウルに移されたガナッシュと呼ぶらしいシロモノを必死に掻き混ぜた。



「そんなに力を込めて混ぜなくてもいいのよー」

「・・・・・・」



入れたくなくてもな、勝手に肩に力が入っちまうんだよ・・・。

奮闘する事、数10分。どうにかこうにか下準備が済んだらしく、「先生、ありがとう」と、サクラがコーヒーを淹れてくれた。



「とっても助かったわ。ちょっと休憩しましょう」

「・・・はぁ」



いろんな疑問が頭の中を飛びまくっている。

何で俺はこんな事してるんだ?何でサクラがここにいるんだ?何で俺はサクラに逆らえないんだ?

「冷蔵庫借りるねー」と、サクラは勝手に人の家の冷蔵庫にチョコをしまっているが・・・。もう、勝手にしてくれ・・・。



「・・・もう少しマシなの食べたほうがいいわよ。栄養バランス悪過ぎ」



はいはい。ご忠告ありがとねー・・・。あいにく、そこまで気を遣ってくれるヒトがいないもんでねー・・・。

手渡されたコーヒーをゆっくりと口に含んだ。ほろ苦い香りが、身体中の細胞一つ一つに沁み渡る。

部屋中に充満したチョコの匂いにも、段々にだが慣れてきた。

ようやく正常に働きだした脳細胞を駆使して、まずは現在の状況を把握してみる事にした。



「・・・えーと、サクラはバレンタインのチョコを作ってるんだっけ?」

「うん。義理チョコ用なんだけどね。どうにも明日のバレンタインに間に合いそうになくって・・・」

「間に合いそうにないって・・・、さっきので、あらかた完成してるんじゃないの?」

「ぜーんぜん。この後、冷えて固まってきたら一口大の大きさに丸めて、周りにココアパウダーを振り掛けて、袋に詰めて、それで完成」

「なーんだ。大した事ないじゃないのさ」

「んー。でも、あれだと精々10個くらいしかできないわ。できれば全部で200個か300個くらいは欲しいのよね・・・」

「はあ!?」



200個か300個・・・?一体どんな義理を果たそうっていうんだ?



「だって、義理チョコとはいえ、さすがに1個だけあげるのもねぇ・・・。一人当たり2個ぐらいが妥当な線だと思うんだけど」



それだって、150人近く渡す計算になる。ひょっとして、アカデミー中の男どもに配って歩くつもりなのか?



「まあ、浮世の義理ってやつよ」



うふふふ、と可愛らしく小首を傾げながら楽しそうに笑っていて、思わずその姿に魅入ってしまいそうになったが、ちょっと待て。

つまりは200個か300個、全部完成するまで俺に手伝えって事なんだな。



「・・・せっかく、一日中寝てられると思ったのに・・・」



何が悲しくて、よその男が貰うための義理のシロモノを俺が手伝わなきゃならないのか・・・。

一瞬目の前にいるサクラが、可愛い顔をしたとんでもない悪魔に見えてしまった。









コロコロコロコロ・・・



最高にだらけ切った情けない顔をしながら、チョコレートの玉を作り続けた。



コロコロコロコロ・・・



好むと好まざるとに関わらず、どんどん目の前にうずたかく積まれていく茶褐色の塊。

圧巻とも呼べるその眺めは、突如テーブルの上に出現した巨大なピラミッド細工のようで、

さすがにここまでチョコレートが溢れ出すと、思わず無我の境地に達してしまいそうな錯覚に陥った。



・・・そうか、これは一種の精神修行なんだな。

心頭滅却すれば火もまた涼し。甘い物も苦くなるって寸法か・・・。

サクラの手伝いをしながら、禅の修業をしているようなもんだ。

早いとこ、この甘ったるい匂いを、芳しく感じられるまでに精神を鍛えないと・・・。



「・・・駄目だ。俺には出来ない・・・。まだまだ修行が足りない・・・」

「えー?何か言ったー?」



コロコロコロコロ・・・



「凄いねー、カカシ先生!全部同じ大きさ!」



向かいに座って、やはりチョコレート玉を転がしていたサクラが、吃驚したように俺の手元を見詰めている。

言われてみると確かに、きっちりと測ったような同じ大きさの茶色い玉がズラズラと並んでいた。

それに比べてサクラの手元は、というと・・・。

大小様々な大きさの玉が、――それも凡そ玉とはいえないような代物も、中にはチラホラ混じっていたりもして。

悪いと思ったが、あまりの出来栄えの差に思わず吹き出してしまった。



「フハハッ!・・・サクラって、そんなに不器用だったっけ?」

「し、失礼ね!上からコーティングしちゃえば判らなくなるわよ・・・」



顔を真っ赤にしながら、むきになってチョコレートを転がすサクラ。

なるほど・・・。俺に助けを求めてきたのが、良く判った。



コロコロコロコロ・・・



・・・しかし、何だなぁ・・・。俺にチョコ作るの手伝えって事は、俺はこれを貰う側には入ってないって事だよな。

アカデミー中の男に義理を振り撒きながら、俺だけは蚊帳の外って訳か・・・。

何だかそれも、淋しいもんだ。・・・まあ、所詮サクラにとって、俺は単なる『先生』でしかあり得ないんだろうなぁ・・・。



毎年届く、大して知らない女からのチョコレートに心底辟易させられながら、

それでもサクラから今年は貰えそうにないと判ると、無性に残念で仕方ない。

たかがチョコレート、されどチョコレート。・・・こんなもんに踊らされている俺達も、相当な馬鹿なんだろうがなぁ・・・。



「どうしたの、カカシ先生」

「・・・え?」

「何だか・・・、難しそうな顔してるから・・・」



心配そうに俺の顔を覗き込んでくる少女。

・・・ハハハ、何期待してるんだよ、自分の教え子に。

こうやって――、ピンチのときに手助けしてやって、それがサクラの為になれば十分じゃないか――



「・・・いや、なんでもなーいよ」

「そう・・・?」



コロコロコロコロ・・・



しかし、サクラの為になるにも、この量はさすがにきつ過ぎる・・・。

・・・見てるだけで吐き気がしそうだ・・・。









その後サクラの熱心な指導の下、真夜中近くまでかかって、更にうずたかいチョコレートの山を築き上げた。

コーティングを施し、出来上がったチョコを小さな透明の袋に詰めていき、カラフルなモールで口を閉じる。

ここまで来たら、もうゴールは目の前だろう。

溢れ返る甘い匂いに胸焼けを起こし、結局何も食べられずに一日が過ぎた。

今はとにかくこの作業から解放されたい。部屋の空気を全て入れ替えて、思いっきり深呼吸したい。

それで、酒でも飲んで、さっさと寝たい。






「・・・こ、これで完成、か・・・?」

「うん!どうもありがとう、カカシ先生!先生がいてくれて、本当に助かったわ」

「ハハハ・・・、そりゃ、良かっ、た・・・」



やっと終わったか・・・。

疲労困憊して息も絶え絶えの俺に、「さっすがぁ!私の見込んだカカシ先生だけあるわ!」と、

心にもないことを口にしながら、パンッと一発背中を叩き、ニカッと会心の笑みを浮かべるサクラ。



「ねぇ、先生。明日の予定は?」

「明日?明日は別段急ぎの任務も入ってないから、一日中、詰め所で待機の予定だけど・・・」

「そう、良かった。じゃ、明日もよろしくね!」

「・・・はい・・・?」

「十時くらいに詰め所に行くから待っててね」

「ちょっと待て。・・・何が『よろしく』なんだ?」

「えーとね・・・。私一人じゃ、とてもじゃないけどこのチョコ持ち歩けないから、先生にまた手伝ってもらいたいなーって・・・」

「何ぃー!?」

「別に大した事じゃないのよ。私がチョコを配ってる間ね、この紙袋を持って一緒についてきて欲しいの」

「・・・・・・は?」



特製チョコの入った特大紙袋。その数、四つ。

それを持って、明日一日サクラの後を歩けっていうのか?

今日一日俺をこき使っておいて、それじゃまだ飽き足らないっていうのか!?

お前・・・、俺の事、一体なんだと思ってるんだ・・・!?



あまりの発言に、石のように凝り固まってしまった俺をよそに、「今日はありがとうございました。じゃ、また明日〜」

と晴れやかな笑顔でサクラは帰っていった。大量のチョコを残して。



ん?残して・・・?



「ま、まさか、明日これ、俺に持ってこいと・・・?」






ヨロ・・・



激しい眩暈に襲われ、思わずその場にしゃがみ込んでしまった。

せっかくの休日を、予期せぬ来訪者に目茶苦茶にされて、しかもなお、明日までこき使われようとしている。



「・・・何なんだよ・・・。俺が一体何したっていうんだよ・・・」






その夜、山のようにそびえ立ったチョコレートが無残にも崩れ落ち、溢れ返ったチョコレートで物の見事に押し潰される・・・、

という悪夢に一晩中うなされ続け一睡もできなかった事は、言うまでもあるまい・・・。クソッ・・・。